TMMP 酒と肴のエッセイ「酔いの徒然」 文・画 : 柄長 葉之輔 (えながようのすけ)

第四十回 ラフカディオ・ハーンと八雲

自由が丘の隣、駒沢オリンピック公園の近くの八雲に住んで二十余年程になる。
ご当地の氷川神社の前には、やや疲れた小さな商店街が、東急都立大駅に向かって、所々歯の折れた櫛のように続いている。
酒屋、靴屋、八百屋、肉屋、自転車屋、古本屋などの親父達は、古希を過ぎてもまだ現役、夕方になると店を女房に任せて、駅前近くの居酒屋で、チビチビ飲みはじめている。そんな中に、背広やズボンの直しをいつも頼んでいる宮野鼻さんという広島出身のご隠居風情の飲兵衛がいる。昔は田中角栄とか政治家の背広を仕立てていて、銀座、赤坂でブリブリ鳴らしたそうだが、今では地元八雲の郷土歴史研究に情熱を注いでいる。

「八雲って言う地名ですけど、あの小泉八雲と何らかの関係があるんですかね・・・」。
小泉八雲といえば、「怪談」「雪女」「耳なし芳一」で有名なギリシャ生まれの作家ラフカディオ・ハーン。アイルランドで育ち、アメリカに渡って記者として新聞社に勤めるが、当時ご法度であった黒人女性と結婚したため白眼視され、傷心の思いで来日。松江に英語教師の職を得て、旧松江藩士の娘小泉セツと結婚、帰化し小泉八雲と改名するに至る。小泉は妻セツの姓、名の八雲は、出雲の須左之男尊が、お后である八重垣姫に送った古歌、
「八雲立つ出雲八重垣妻こめに、八重垣つくる、その八重垣を」の八雲に由来する。
ところで、多摩川、荒川流域に多い、我が地元にもある氷川神社は、同じく須左之男尊を祭神とし、由緒も出雲大社から勧請されている故、ご当地目黒の八雲の町名になったそうだ。
「成る程。流石、郷土歴史研究家・・・。ということは、ここ八雲は小泉八雲とは全く直接関係無い訳だ・・・」。
「いやいや、そうでもないんですぞ」。
と、いよいよ壷に入ってきたという得意満面の風情で、お猪口の酒を一気に飲み干し、
「なー君、あそこの氷川神社の横に八雲学園があるだろ。あれは大正時代からある歴史ある名門女子校だが、そこに昭和十六年から十八年まで、小泉八雲とセツの長男一雄が、英語教師として赴任していたのだそうだ」。
「へーっ。驚きました。じゃー一杯どうぞグイーっと・・・」。
「ところで、宮野鼻という名前は大変珍しいんですが・・・・」。
「ああこの名ね、よく聞いてくれました。実に、日本に数軒しかなくて、そのルーツはね・・・・」。
「いやいや、宮野鼻さん・・・・それは又、次回にゆっくりと・・・・」。