文・画 : 柄長 葉之輔 (えながようのすけ)
第三十六回 オリーブの伝道師 ようこそイーガーさん
旧約聖書「出エジプト記」にヘブライ語で書かれた「マーシーアハ」とは、「聖なる油を注がれし者」の意味で、これをギリシャ語に直した言葉が「クリースト」。イエス・キリストはこれに由来するそうだ。
「聖なる油」と言えば勿論オリーブ。
オリーブはキリスト教にとっては欠かせない存在で、今でも洗礼を受ける時には、聖なるオリーブオイルを額にぬり、祝福を受けるのである。
グルメと健康、美容にと、今注目のオリーブを、果たして、日本に最初にもたらしたのは誰で、いつ頃であろうか・・・・。
一五四九年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが幾多の苦難を乗り越えて鹿児島に辿りつき、肥後、豊後と布教を始めたのだが、その時、洗礼の秘跡の為の聖なる油・オリーブを大事に携えてきたのは間違いない。大友宗麟、高山右近などのキリシタン大名は勿論、細川ガラシャ夫人も、天草四郎時貞もオリーブオイルで受洗し、祝福を受けたのである。
ザビエルから四五〇年。
オリーブの世界的研究家シャウル・イーガー博士はチェコ系のユダヤ人。建国前のイスラエル、カルメル山のキブツに生まれ、刻苦勉励、畜産・酪農の専門家として活躍していた。しかし昔も今も臨戦態勢のイスラエル。第一次レバノン戦争で少尉として従軍し前線で五〇人の部隊を指揮をしていたイーガー博士は、突然持病の重度不整脈で意識不明、救急病院に移送させられてしまい強制除隊。人一倍男気のある我が敬愛するイーガーさんは悪夢、失望、屈辱の日々の中で、ある日、旧約聖書の一節「オリーブは薬である。」が脳裏に鮮やかに浮かんだのである。
それから“藁をも掴む”思いで、エキストラバージン・オリーブオイルを毎朝欠かさず飲み続け、奇跡的に助かったのである。そこで彼は四十歳にして一念発起。「私は何が何でも、オリーブに生涯を捧げるぞ・・・・!」とヘブライ大学に再入学し、オリーブの研究で博士号を取得したのである。
オリーブの原産地とも言われるカナンの大地、カルメル山の麓から、イーガーさんはオリーブの伝道師として、オリーブの素晴らしさを、今、将に、訴えかけているのだ。
詳細は拙著『子どもを守る オリーブの伝道師 ようこそイーガーさん』(たる出版)をご覧ください。