TMMP 酒と肴のエッセイ「酔いの徒然」 文・画 : 柄長 葉之輔 (えながようのすけ)

第二十六回 言語と仕草

艶やかな和服に、しなやかな指先。色気むんむんの妖艶な芸者が、流暢な英語で “Danna-san! I have missed you for a long time! Chairman! ”
今話題のハリウッド映画「SAYURI」は、日本の昭和初期の京都祇園を描いた映画で、主人公の「さゆり」を演じる中国人気女優チャン・ツィイーも、置屋のお母さん役の桃井かおりも、会長役の渡辺健も、すべての登場人物が英語で演じている。

原作は一九九七年アメリカで二百万部を越すベストセラーになったアーサー・ゴールデンの花柳小説である。「おしん」ばりの虐め、妖艶、嫉妬、謀略、情念の入り交じったドラマチックなストーリーで、テネシー生まれのヤンキーが良くぞここまで調べ上げ書き上げたものだと感心させられる。
いつか日本で映画になればとは思っていたが、こともあろうに、彼のハリウッドのスチーブン・スピルバーグが、「シカゴ」のロブ・マーシャル監督を起用して映画化してしまったのである。
「艶っぽい芸者が耳元で、“Please enjoy a cup of Sake! Darling! ” と、しゃきしゃきした英語で喋られちゃ、ちょっと変だよな・・・・。」と、当初は馬鹿にしていたのであるが、どうしてどうして、どんどん画面に釘付けになり、ここは京都祇園。英語を喋っていることなど忘れてしまうし、言語の問題は超越して来る。
芸者としての化粧の仕方、歩き方、お辞儀の仕方、話し方、酒の注ぎ方、肌の見せ方、流し目の仕方などの独特な仕草が芸者を本物の芸者と実感させるのであって、言葉は何語でも構わない。観客は画面の風景、雰囲気、登場人物の立居振舞いで当時の日本の世相、文化、そして祇園を実感し、物語に引き込まれていくのである。
昔よく見た「ローハイド」「ペリーメイスン」「コロンボ」でも、“口パクパク”の日本語吹き替えであったが、“これぞアメリカ、スゲーな!”と全く違和感を持ったことは無いはずだ。
それにしても、「ラストサムライ」しかり、古くは松田優作、マイケル・ダグラスの「ブラック・レイン」にしても、ハリウッドが日本を舞台にして映画を撮ると、一つ一つのショットやリズムが、素晴らしく躍動的になり、ダイナミックになってくるのが不思議だ。