文・画 : 柄長 葉之輔 (えながようのすけ)
第十二回 老人よ! 怒りを抱け!
戦後も最早六十年。ナイスミドルと言われていたのはつい昨日であったのに、とうとう一昔前ならば老年と言われる年齢になってしまった。気分は未だ学生気分であるが、深酒すると二日酔いでは治まらず、何事につけ体力の衰えを自覚せざるを得ない。
「ロマンスグレーに、パイプをくわえ、英国仕立てのツイードを粋に着こなし、ステッキ片手に銀座をゆっくりと歩いている・・・。」
こんな自分の姿を想像していたが、現実には、経済的にも、精神的にも残念ながら程遠い。
実際、銀座を歩いても、本当に素敵な老人がめっきり減っているようにも思える。
年甲斐も無くバックパックをランドセルのように背負ったり、先生と呼ばれる輩に至っては、残り少なくなった髪の毛を黒く染めて、ポマードべったり、無理矢理前に持ってきて、精力絶倫を誇示している。
昔の老人たちは、政治家でも経営者でも、また近所のご隠居さんでも、枯れた中に、怖さを伴った威厳があった。
その当時の親や周りの教育としても、老人を大切にする風潮ではあったが、今では、やれ親爺狩りだ、人口統計では「従属人口」と、社会ののけ者扱いされている。これじゃ、老人も立つ瀬がない。しかし老人も老人で、もう現役は終わった、年金生活だ、老いては子に従うと、いい老人ぶって、存在感が無さすぎる。
人間の記憶力は、七十五歳位がピークであるとの学説もあるが、もっと頑固に、品よく怒って、発言しつづけるべきで、それが長生きの秘訣でもある。
コーカサス地方はヨーグルトと蜂蜜の長寿村で有名であるが、コーカサス地方は部族間の争いが頻繁で、一端事あると、長老たちは部族の先頭に立ち、やくざの親分よろしく、威嚇とはったりで体を張って紛争解決に当たるのだそうだ。
やはり人間にはある種の緊張感が必要で、それが威厳と品格を生み出すのではあるまいか。
前Y球団オーナーが「選手如きに・・・」と発言して物議をかもしたが、ああいう古典的頑固親爺が懐かしい。